
バスの左手にタクラマカン砂漠の西端を、右手にパミール高原を眺め見ながら、カシュガルからヤルカンドへと向かう。所要時間は約3時間半。
西安から50時間の列車の旅をへてこの新疆ウイグル自治区へ入り、その後も鉄道とバスを長時間乗り継ぎながら街から街へと移動してきた私にとっては、3時間半というバスの移動が、いつのまにか拍子抜けしてしまうほど短く感じられるようになっていた。
これからヤルカンド、そしてホータンと、この旅ではじめてタクラマカン砂漠の南側を周ることになる。それは、カシュガルを離れてパミール高原のカラクリ湖やタシュクルガンへ向かった時と同様に、カシュガルまでしか敷設されていない鉄道の通るルートから外れることでもある。これまでも、新疆における鉄道の存在が、各地の民族構成比や街の変化にいかに大きな影響を与えているかを実感し続けてきた。
しかし、タクラマカン砂漠の南側に向かうことには、鉄道ルートから離れること以外に、もう1つこれまでとは違う意味合いがある。それは、トルファン、クチャ、カシュガル、そしてパミール高原を越えてパキスタンへと向かうアジア大陸の旅の横断ルートから外れるということだ。
厳寒の時期を除けば、多くの旅人や行商人が中国を出国してさらに西へ向かい、その逆に西からパミール高原を越えて中国へと入ってくるヨーロッパ人などが、数は多くなくとも多少はいるものだ。彼らの大半は、カシュガルを通過して東や西へ向かっていくため、宿ではそうした途上にある旅人や行商人に出会う機会も少なくない。
ところが、そのルートから外れた位置にあるヤルカンドまでやってくると、カシュガルからバスでわずか3時間半の距離にありながら、旅をする者が溢れているような雰囲気は皆無に等しくなる。
「シャーチョー」。漢民族はヤルカンドのことをそう呼んでいる。と言うよりも、行政上の正式名称は実際にシャーチョーで、カシュガルのバスターミナルで私が何度「ヤルカンド」と言っても、漢民族にはなかなか通じないこともあった。しかし、ウイグル族の人々は、この街を「ヤルカンド」と呼んでいる。
街は16世紀から17世紀にかけてヤルカンド・ハン国の首都として栄えたが、現在のヤルカンドは街の中心部の通りはわずかに2キロほどで、小さなオアシスの街と言っても過言ではない。
しかし、私がこの旅で数多く訪れた新疆ウイグル自治区の街の中でも、このヤルカンドほど第一印象が強烈だったところはない。そして、私がヤルカンドで過ごした時間を思い起こした時、この街ほど、旅の中での人との出会いが強烈な印象として残っているところもない。
(Vol.62へ続く)
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