
パミール高原のカラコルムハイウェイをバスで下り、私は1週間ぶりにカシュガルへと戻ってきた。
トルファンからこの旅をはじめ、鉄道やバスを乗り継いで1週間前にカシュガルへ辿り着いた時には、広大なタクラマカン砂漠の果てにカシュガルのような大都会があることに驚き、古くからウイグル文化の中心地として栄えてきた街に足を踏み入れたことに対する感慨を覚えたものだった。
そして今度はカラクリ湖畔やタシュクルガンで約1週間を過ごした後に、再び目の当たりにするカシュガル。人の気配などほとんどない標高3000〜4000mの高原の風景の後に目にする都市の印象は、タクラマカン砂漠を越えた後に見た初めてのカシュガルの印象と重なる部分がなかったわけではない。
カラクリ湖畔で世話になったキルギス族のサディックの言葉をまた思い出す。「街では高い建物が視界をさえぎっていて空が見えないから、長い時間いると息苦しくなる」
高層ビルはもちろんなのだが、平屋であっても密集して建てられていると、その近くを歩くだけで視界が極端に狭くなることを実感してしまう。1週間見晴らしのよいところで過ごすとこんなにも違うものかと自分でも不思議に思うくらいだ。
しかし、再びカシュガルへ戻ってきた私の印象として最も強烈だったのは、そんな大自然と大都会の風景の違いなどではなかった。
カラクリ湖畔の村やタシュクルガンとの比較だけならば、これと言って感じることはないのかもしれない。けれども、カラクリ湖から山をさらに越えた自給自足の村で見た光景やそこにある価値観に触れた後、久しぶりのカシュガルで都市生活を送る人々の様を目にすると、そのあまりの違いに目を奪われずにはいられないのである。
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