
自給自足で暮らす村を後にして、中国-パキスタンを結ぶ国際バスが走るカラコルムハイウェイ沿いの村まで下りて来ると、そこには人々が多少なりとも現金を必要とする社会が存在していた。
そうは言っても、もちろんカシュガルのような都市社会とは次元が違い、半自給自足、半現金社会というのが適切かもしれない。人々は羊やヤクを育て、自ら肉をさばきヨーグルトやチーズを作るのだが、村の小さな商店で小麦を買ったりもする。
さらに、カラクリ湖周辺で、そこを訪れる漢民族や外国人観光客を相手に土産物を売ったり、ガイドをしたりしている村人には、大きな額ではなくてもある程度の現金収入が発生することになる。
100%自給自足で暮らす人たちの生活の様を目の当たりにした後に、突然、現金が存在する社会に出くわしてみると、やはりその存在や影響の大きさを改めて実感せずにはいられない。何よりも、その2つの社会では、“人にとって大切なもの”が必然的に違ってくるのである。「人にとって大切なものは同じだ」と唱えたところで、やはり比較をしてみれば、現実的にその違いは歴然としている。
例えば、自給自足の社会では、女性が自分の衣類を羊やヤクの毛を使って自分で作っていた。一方、カラクリ湖畔の村では、カシュガルやタシュクルガンに買出しに行く人が家族の衣類を買ってくる。あるいは、街へ出かける人にお金を渡して買い物を頼む。
自分の物を自分で作る社会では、もしそれが使えなくなってしまえば、もう一度自分で作るしかない。それがどれほど面倒な作業であろうと、そうするしかない。だから人はその面倒な作業を発生させないためには一度作ったものを大切にすることになる。
しかしもう一方の社会では、すぐに代わりのものを手に入れられるように、現金を保持していることが重要なことになる。別の言い方をするならば、現金を持っていさえすれば容易に同じものを入手できるという安心感が与えられる。
そう考えてみると、さらに現金社会化が進んだ世界では、いつの間にか“ヒト”や“モノ”や“コト”がより軽んじられていくのは、良し悪しは別にして実態としては不自然なことではないのかもしれない。それまでほとんどのものは代替不可能で唯一のものだと思われていたのに、様々なものと引き換え可能な現金という媒介が登場してきたのであるから、日常生活のなかで大切にするもの、せざるを得ないものが新たに生まれてきたに等しい。その価値に対する信仰が強まれば強まるほど、見えるものであれ見えないものであれ、現金以外の存在に対する意識は希薄になっていくだろう。
私が訪れたカラクリ湖畔の村は、まさにそうした変化の過渡期にある場所だった。
私とずっと行動を共にしていたキルギス族の青年の家族の間でも世代による価値観の差が大きく、そのギャップといったら、「急激な社会の変化」などという表現で語ることができるとは到底思えないほどだった。何しろ、親の世代ではカシュガルへ行くのにラクダの背に揺られて5日ほどかけていたにも関わらず、今の村で車を手にしている若者にとっては、カシュガルは半日もかからずに行ける場所になっているのである。
さらに一代上になると、そもそも定住生活を送っていなかった世代になる。村で私に塩気の利いたヤクのミルクティーをご馳走してくれた60代の女性はこんなふうに愚痴をこぼしていた。
「キルギス族というのは、山や草原を移動しながら遊牧をしてきたんだ。それが今じゃ、若い者は車を欲しがって、しかもこんな日干しレンガでできた動かない家に住んでいる」
どうも彼女は定住生活では落ち着かないらしい。話を聞いてみると、環境の違いから来る世代間の価値観の差ではすまない、人間の価値観の根底や前提を揺さぶる話なのだとも思えてくる。
自給自足の社会から、現金が必要な社会へ。そこで見えてくることは、どうやら想像以上に、無意識のうちに自分の中で育んできた価値観と無関係ではなさそうな気がする。
(Vol.53へ続く)
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