
数多くの民族が暮らす新疆ウイグル自治区では、街によって民族構成比にかなりの違いはあるものの、1つの街の住民が1民族で占められているようなことはほとんどない。しかし、都会から離れた農村や山岳地帯に入ると事情は違う。
ここカラクリ湖周辺では、厳密に100%ではないものの、村の住民はほぼキルギス族に限られると言っていい。例外は、公安(中国の警察)の出張所に勤務している漢民族で、その数も4、5人だという。
当然、村の人々は通常キルギス語のみを使って生活している。観光でカラクリ湖を訪れる漢民族相手の仕事に携わる人でもなければ、生活の中で中国語を使う機会もなく、それ以前に使う必要性に迫られることもない。大半の村人にとって、中国語は義務教育課程で少しだけ教わり、あとは時間とともに忘れてしまう言語でしかない。
「母国語がほとんどわからないのはやっぱり問題だよ。これから先、カシュガルやタシュクルガンのような周辺の街が今よりも発展していった時、村が悪い意味で孤立してしまうような気がする」
村を案内してくれたサディックは、村の将来をそんなふうに心配している。彼自身も、この近辺では数少ない英語を操ることができる人物でありながら、母国語の中国語については「ほとんどわからない」のだという。
「そう言えば、以前にこんなことがあったよ」
サディックは、急に思い出したように、彼がカシュガルを訪れた時の苦い思い出を語ってくれた。
「カシュガルに買い物に出かけた時、ウイグル族らしき人に中国語で話しかけられたんだけど、全然わからないから『中国語はわかりません』って答えたら、何て言われたと思う?『なんだお前、中国人なのに中国語がわからないのか』って馬鹿にされたよ」
同じような体験をして、すっかり落ち込んで村に帰ってくる人も時々いるらしい。
「中国人なのに中国語がわからない・・・・・・たしかにそうなんだよ」
そう言ってサディックはため息をついた。
同じトルコ語系の言語ということもあって、キルギス族にとってウイグル語を話すことは難しいことではない。しかも新疆では、漢民族以外の民族同士が話をする時、たいていウイグル語が共通語と化しているのが実情だ。
しかし、中国語を習得して日常的に使う少数民族が増えてくると言語事情も変わってくるということなのかもしれない。これから先、サディックのような体験をする村人は増えてくるのだろうか。
サディックと私は、村に1つだけある学校の前を通りかかった。その小さな学校を取り囲む塀には、中国語でスローガンのような文章が書かれている。私にはいくつかの漢字しか理解できず、その文章が何を意味しているのかはよくわからなかった。サディックに聞いても、他の村人に聞いても、「わからない」という答えしか返ってこなかった。
(Vol.48へ続く)
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