
パミール高原に降り注ぐ陽射しは強烈に強く、空も山も目を細めなくては見ていられないほど明るい。しかし、決して暑いわけではない。私がカラクリ湖畔を訪れた10月には、さすがに標高3600メートルの朝夕の冷え込み方は半端ではなく、村で暮らすキルギス族の人々の服装を見ても薄着の人など一人もいない。
「これだけ標高が高いと冬はかなり寒くなりそうだね。気温はマイナス何度くらいまで下がるの?」
私は村を歩きながら、何気なくサディックにそう尋ねてみた。冬場は道が凍結するため中国・パキスタンを結ぶカラコルムハイウェイが封鎖されることを考えると、想像を絶する極寒に襲われそうだ。
けれども、返ってきた彼の答えは意外なものだった。
「この村には気温はないよ」
私は、自分の質問の意味が正確に彼に伝わらなかったのだと思って、もう一度同じ質問をしてみた。しかし彼の答えは変わらない。
「この村の人は、気温というものを知らないんだよ」
その後も何度か聞き直して、私はようやく彼の真意を理解することができた。どうやらこの村には“気温”という概念自体が存在しないらしいのだ。だから「気温が何度くらいなのか」と尋ねられても誰も知らないし、答えようがないというわけだ。
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サディックは、この近辺では数少ない、英語を操る人物だった。
彼は独学で英語を学ぶなかで、“temperature”という単語に出くわし、気温という暑さ寒さの感覚を数字で表す尺度があることを知ったのだと言う。その彼も、この村で温度計を見たことがないから、気温を聞かれてもわからないのである。
村の冬の厳しい寒さを知るために、私は軽い気持ちで質問してしまったわけだけれど、村の人々の価値観に従えば、「寒さを数字で表してなんになる。冬にこの村へ来てみればわかることだよ」ということになるのかもしれない。確かに、「冬はマイナス30度以下になります」と仮に言われたところで私がこの地の冬の厳しさを実感できるわけではない。
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サディックは、カシュガルへ行って“天気予報”というものがあることを知り、とても不思議に思ったときのことも話してくれた。
「天気予報なんて少なくともこの村には必要ないよ。だってここでは100キロ先の空だってちゃんと見えるんだから。雨が降りそうかどうかは遠くの空を見ればわかるよ」
サディックがそう言いながら指差す遠くの空へと、私は視線を向けてみた。
強い陽射しを受ける高原の大地の上には、コバルトブルーの澄み切った空が、どこまでもどこまでも、天高く続いていた。
ここはパミール高原。世界の屋根。私はこれまででもっとも空に近いところにいるのである。それを確かに実感させてくれるような青い天空が、私の頭上を覆っていた。
(Vol.47へ続く)
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