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 日々都市化が進み、街が開発によって刻々とその姿を変えているという意味では、ウイグル自治区の他の街と同様、カシュガルも例外ではない。しかし、街の規模が大きいからか、大都市カシュガルでは、その変化の様子がこれまで見てきた街とは少し違っているような気がする。
 ウイグル自治区の多くの街で、漢民族人口が増え、街が変貌してきたことは事実だと言えるだろう。ウイグル族をはじめとする少数民族が暮らすエリアはそのままに、漢民族エリアは新市街地として発展しているところもあれば、街の中心部そのものが中国の都市へとその姿を変えていっているところもある。そしてこれまでも書いてきた通り、そこには大きな不満の声もある。

 カシュガルにも、漢民族の生活圏・居住圏となっている新しいエリアがあって、そこでは高層ビル群が次々と生まれている。一方、ウイグルエリアでは、歴史あるエティガールモスクを中心に、周囲にはバザール、職人街、そして日干しレンガでできた迷路のようなウイグル族居住区が広がっている。しかし、このウイグルエリアでも、一部を除いては、開発が次々と進められている感がある。もともとウイグル文化の中心地として長きに渡って発展してきた場所が、漢民族化とは少し違う次元で都市化し、あるいは観光地として整備が進められているようでもある。
 例えば、ウイグル族の古い住宅街が取り壊されて大きなアパートやマンションが建ち、そこにまたウイグル族が住んだり、バザールの一部の区画が整備されて近代的な商店街ができ、それまでバザールで店を出していた人達が、冷房の効いた新しい場所で店を出したり……。
 そうした変化を嘆く声は当然のことながらあるだろう。
 しかしその一方で忘れてはならないと思うのは、現地で日常生活を送る人々の利便性であり、そこで生きる人達の声である。
 街が望まない形で変えられていく事に対する不満はおそらく誰もが持つものだ。それはもちろん特定の国や地域に限った話ではない。けれども、いつまでも昔ながらの生活をしていて欲しい、伝統を忘れず近代化の波になど飲み込まれずにいてほしい …… そんな願望を抱くのは、往々にしてそこで日常生活を送ってはいない外部の人間だったりするものだ。
 カシュガル以外の街でも、色々な人から様々な話を聞いたのだけれど、生活や仕事の環境面で快適さを求める声は当然大きく、古いものが新しく変わっていくこと自体は好意的に受け止められていることが多かったように思う。もちろん、どの程度それが漢民族主導のものなのか、ということは避けて通れないことなのだが。

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 そういえば、カシュガルの前に訪れたアトシュでも、同じようなことを考えさせられたものだった。
 私はアトシュで、グルマンブとアイジャルクンという名の2人の高校生に街を案内してもらったのだが、ロバ車に好んで乗ろうとする私を、彼女たちは、「どうしてあんなダサい乗り物に乗りたがるの?」と本気でひき止めていた。
「ダサいし、臭いし。車のほうが速いし便利だし、きれいでかっこいい」
「ロバ車なんて1日も早く自分たちの街からなくなってほしい」
 2人はそう口をそろえた。

 実際に、私はウイグル自治区の旅のなかで、好んでロバ車に乗せてもらっていた。小さな荷車をロバに引かせるこの乗り物は、ウルムチのような大都会の中心部を除けば、ウイグル自治区のどの街のどの通りでも見ることができるだろうし、大きな街を離れれば、今でも重要な交通手段だ。しかしある程度の規模の町では、経済発展と共にその数は確実に減少しつつある。
 生活や仕事の上での移動手段として考えれば、大切なのはスピードであり輸送力であり、快適さだ。そして、いつまでも変わらずロバ車の行き交う街であって欲しいなどと思うのは、まれにその場所を訪れる者であり、ロバ車のいないところから来た者だ。さらには、ロバ車のようなものはとっくの昔に消えうせて、それよりも遥かに便利なものを享受しているところで生きている人間の、実に一方的な懐古主義的願望だとも言えるかもしれない。

 これは私自身が自分で自分に言い聞かせていることでもあるけれど、こうした願望は、異国情緒や旅情に恋い焦がれる側面からだけ切り取られたもので、一番肝心なはずの、そこで日常生活を送っている人の現実というものが、どこかで忘れ去られていたりしがちだ。そういう認識は重要なことだと思う。
 伝統的な生活を維持して欲しい。あるいは自然をそのままに残しておいて欲しい。そうした類のことはとても大切ではあるかもしれないけれど、美しい言葉で語られるがゆえに、そこで暮らす人の現実や願望とは乖離していても、無条件に正当化されてしまう傾向にある。

 開発の進むカシュガルの街を歩きながら、そしてアトシュで交わした会話を思い出しながら、そんなことを考えていた。


Vol.38へ続く)

>> 旅のウイグル語 Vol.37
 今回は「どのような、どのように(=How)」に関する表現です。「カンダク?」という表現を使いますが、場所を尋ねたりする時に使えます。

どのような、どのようにカンダク

バザールカンダクバリメン?
バザールはどのように行きますか?

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P93-P95
「水が生み出す奇跡の風景」
ヨセミテ国立公園(アメリカ/カリフォルニア州)、アンテロープキャニオン(アメリカ/アリゾナ州)、ゴブリンバレー州立公園(アメリカ/ユタ州)、太魯閣峡谷(台湾)、他

P116-P121
「海を見た人」
(中国・新疆ウイグル自治区・パミール高原)

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>> 秋野深(あきの・じん)について
 1970年生まれ。福岡県出身。会社員生活を経て、現在はフリーランスの写真家・紀行作家。アメリカとアジア(シルクロード、イスラム圏、東南アジア)を主なフィールドとして、自然風景、建築物、人々の生活や文化を撮り続け、雑誌やウェブでは旅のフォトエッセイの連載も手掛けている。
 2006年より、アメリカ・インディアナ大学研究所を中心とする国際的な芸術と科学の研究・展示プロジェクト「Accuracy & Aesthetics」のオフィシャルフォトグラファーとして、5年にわたって世界5大陸の10都市を訪問・撮影予定。
 ニューヨークアートギャラリー「Renee Fotouhi Fine Art」への作品登録、ナショナルジオグラフィック・WWF(世界自然保護基金)の共同制作ウェブサイトへの写真提供をはじめ、作品は海外の媒体でも紹介されている。
 『イラン・思考の旅』で、第1回文学メルマ新人賞紀行文部門大賞を受賞。アメリカで開催された「インターナショナル・フォトグラフィー・アワード」の2004、2005のプロフェッショナル・ネイチャー/ランドスケープ部門で「オーナブルメンション」賞を2年連続受賞。
 ⇒ 活動や作品の詳細については、Jin Akino Photography をご覧ください。
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