
アトシュの街から目と鼻の先にある国境を越えれば、そこはキルギス共和国。その距離はわずか100キロあまり。
キルギス族という民族は、主にこの新疆ウイグル自治区の天山山脈西部からパミール高原にかけてのエリア、そしてキルギス共和国に暮らしている。ちなみに、キルギス共和国は1991年まではソビエト連邦に属していたところである。
アトシュから十分に日帰りで行き来できる距離にあるキルギス共和国だが、その間の国境線が隔てているものは大きい。
アトシュ郊外にあるモスクや廟をグルマンブとアイジャルクンの2人の高校生に案内しえもらいながら、キルギス共和国への思いを聞くことができた。
2人はまだ、キルギス共和国へ行ったことはないと言う。経済的、政治的な理由など、事情は様々だが、新疆で暮らすキルギス族の人が決して自由にキルギス共和国を往来できるわけではないというのが実情だ。
明るくて元気なグルマンブもアイジャルクンも、キルギス共和国の話をする時は、ことさら楽しそうだったのが強く印象に残っている。やはり、一番行ってみたい外国はキルギス共和国なのだと言う。
「キルギス共和国はどんな国だと思う?」
私のそんな問いに、2人は
「緑の草原がたくさんあって、とてもきれいで …… キルギス族がたくさんいて……」
と答えながら、楽しそうに想像を膨らませているようだった。
そんなグルマンブとアイジャルクンの様子からは、何よりも、「自分たちの民族が国を作っている」ということに対する大きな憧れのようなものが感じられた。
中国という国家の中での漢民族に対するマイノリティ意識。そして新疆ウイグル自治区内でのウイグル族に対するマイノリティ意識。それらを"無意識"のうちに携えて生きていて、さらに日常の様々な場面でもそれを実感させられる環境にいる人々にとって、その感覚を持たずに生きていける場所は、理想郷のように感じられるのかもしれない。
もっとも、キルギス共和国もキルギス族のみで構成されているわけではない。キルギス族の人口比率は50%強であり、ロシア人が20%以上、ウズベク族が10%を占める多民族国家である。しかし、どのような形であれ、近くて遠いまだ見ぬ国であれ、自分と同じ民族が多数派となって国家が成立しているという事実は、ある意味ひっそりと生きる新疆のキルギス族の人々にとって、誇りでもあり、精神的な支えでもあるようだった。
しかし、国境という行政区分の境界線が、民族に与えている影響は決して小さなものではない。現に、長い間、その国境の向こう側ではソ連時代からロシア化が進められ、国境の手前では漢民族化が進められてきたのである。
国家政策の強化や、経済的理由による他民族への同化が進めば進むほど、民族意識が強くなる傾向はあるかもしれないけれど、実際の生活はそれぞれ違う方向へ変わっていく。
国境を越えて民族の精神的な一体感を堅持することは、やはり容易なことではないようにも思われる。
言語事情はそれを象徴している例と言えるかもしれない。
キルギス共和国のキルギス族も、新疆ウイグル自治区のキルギス族も、当然民族内ではキルギス語を使っている。様々な方言があるので全く同じではないものの、グルマンブもアイジャルクンも、「たぶんキルギス共和国のキルギス族とは会話なら普通にできると思う」と言う。しかし、文字がまるで違うのである。
キルギス共和国では、ロシア語の影響で、キルギス語表記はキリル文字(ロシア語で使う文字)で行われている。一方、新疆ではキルギス語は、アラビア語の転用文字を使用している。
「だから私たちがキルギス共和国に行っても、残念だけど、読み書きは全然わからない」
グルマンブがそう言うと、隣でアイジャルクンが口を「へ」の字に結んでうなずく。
同じ民族で使う文字が全く異なるという事実。それは、2人の高校生にとっても、わずか100キロ先にある憧れの国、自民族の国の存在が、少し遠くに感じられてしまう寂しいことには違いないようだった。
(Vol.35へ続く)
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