
多種多様な民族がひしめく新疆ウイグル自治区の民族間関係は極めて複雑で、当然、言語事情も複雑極まりない。
どの民族も、もちろん中華人民共和国の人民ということにはなるのだけれど、都市部と農村・山岳部、自分が暮らす土地の民族構成比、さらには職業などによって、おのおのが置かれた言語環境は全く違うと言っていい。少数民族の人々にとっては、その生活環境によって中国語との距離感が違ってくるということになる。
行政や教育、そして民族の数の論理や力関係など、実に様々な要因が言語環境に影響を及ぼす。そして人々が身につけている言語が、職業、経済力、民族意識、しいてはその地域の未来に影響する。
新疆ウイグル自治区で生きる少数民族にとっては、中国語の習得レベルというものが、自分自身の人生を左右することになると言っても過言ではない。
しかし、考えてもみれば彼らの置かれた環境は大変だと思う。
アラビア語の転用文字を用いるトルコ系の言語、右から左に読み書きする言語に囲まれて育ってきた人々が、小学校に入学して初めて文字も文法もまるで違う中国語を学び始めるのである。しかもそれは外国語としてではなく、自国語として身につけていかなくてはならない。どれほど民族意識が高く、自分たちはトルコ系のウイグル族なのだ、キルギス族なのだ、という意識を持っていても、どの国の国民なのか、と問われれば、やはり中国の人民ということになる。
トルファンで出会ったウイグル族の青年の話でも、中国語を必死に学ぶことに以前は反発する風潮がなかったわけではないものの、今は街へ出て仕事をし、少しでも高い収入を得たいのなら、中国語をきちんと学ばなくてはいけない、というのが一般的な考え方なのだという。そして中国語を学ぶことが自分たちの立場の向上にも繋がるとも考えているようだった。
私がアトシュで出会った高校生のグルマンブとアイジャルクンも、中国語の勉強には力を入れているのだという。
私が英語の勉強についても彼女たちに尋ねてみると、
「英語なんてとてもとても。中国語だけでも大変なんだから・・・」
そう言って、顔をしかめて首を横に振る。英語も大事だけど、まずは中国語から、ということらしい。
「中国語と英語だどっちが難しい?」
私はそんな質問もぶつけてみた。キルギス語で育ってきた彼女たちからすれば、中国語にしても英語にしても文法は全く違う。さらに文字について言えば、画数が多く覚えるのが大変な中国語のほうがもしかしたら英語よりも難しく感じるのではないか、という気がしたからだ。
ところが、そうでもないらしい。グルマンブもアイジャルクンも「いくらなんでも英語よりはまだ中国語のほうが楽」と笑う。
キルギス族として生まれ育ってきても、テレビから聞こえてくる中国語を耳にしたり、街へ出た時に漢字を目にしたりする機会はあるので、小学校に入学して中国語を学び始める時も、取っ付きやすさはあるようなのだ。
地域や街による違いや個人差はあるものの、新疆ウイグル自治区を旅していると、概ね若い人や子供のほうが、中国語を使いこなせる人が多いという印象がある。そして、学校を卒業した後、中国語が必要ない環境で生きる少数民族の人は徐々に忘れていってしまうというのが現実だ。
ただ、そうした状況にも少しずつ変化が出てきそうな気がする。
私は、中国語の習得についての質問を様々な人にしたのだが、こんなニュアンスの答えが返ってくることも少なくなかった。
「中国語はわかるかって? 当たり前だよ。私は漢民族ではないけど中国人なんだから」
民族意識の中でどんな形で並存しているものなのかはわからないけれど、そこに教育で育まれた"人民意識"のようなものを感じることが度々あったのも、私の偽らざる印象である。
(Vol.34へ続く)
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