
左の尻に注射を打たれ、右の腕に点滴を打っていた私は、右肩、右腰を下にしてベッドで横になっていた。
その小さな小さな病院へは、患者が次から次へとやってくるので、点滴を打っているとはいえ、2つしかないベッドのうちの1つを私1人が占拠しているのは少々申し訳ない気がした。
私が顔を向けている側にもう1つのベッドがあって、そこは診察を受ける患者の椅子代わりになっていた。
病院の入り口付近の壁には、飾り気のない大き目の丸時計が掛けられていて、私は特に時間を気にする必要はないのに、点滴が1本終わるたびにその時計を見ては時間を確認していた。病院の壁でよくみかけるポスターのようなものがその病院にはほとんどなかったので、視界の中で丸時計が妙に目立っていたからなのかもしれない。
4本目の点滴の最中だっただろうか。とあるウイグル族の父と子が私の前のベッドに座った。父親はまだ若くおそらく20代。一緒にいる男の子は3、4歳くらい。
どうも男の子の体調が優れないらしい。元気がなく、ぐったりとして顔色もよくない。
熱を計られたりして一通りの診察を受けた後、その子は私と同じようにお尻に注射をされることになった。
突然ズボンを脱がせようとする父親に、男の子はきょとんとした表情を向けていた。けれど、近づいてくる看護士の女性が手にしている注射器に気付くやいなや、彼は奇声を発して泣き叫び、暴れ始めた。
注射を嫌がるだけならば、「小さい子供なのだから」と微笑ましく見守っていられるのかもしれないが、その子の暴れ方は半端ではなく、元気な時の相当なわんぱくぶりが想像できた。あまりに手足を激しくばたつかせるので、看護士さんも注射器を持ったまま2、3歩後ずさりし、私はと言えば、その子が私の点滴の管を蹴飛ばすのではないかと冷や冷やしていた。
しばらくの間、父親は男の子をなだめようと、頭をなでたり、何やら声を掛けたりしていた。しかし、埒があかないと判断したのだろう。父親は意を決したように突然温和そうな表情を厳しく変え、子供を自分の膝の上に腹ばいに寝かせて、力ずくで首と腰を押さえつけた。
一瞬、男の子の動きが止まる。そこを見計らって、看護士さんが近づき、あっという間に注射を済ませてしまった。
針がお尻に刺さった瞬間、男の子の泣き声は止まったのだが、注射が終わると、今度はそれまで以上に大声で泣き始めた。
「もう痛いのは終わったから大丈夫だよ」
そんなふうに声を掛ける父親に対して、男の子は再び暴れ始めた。しかしその様子は注射をされる前の暴れ方とは違い、怒りに満ちた表情で父親の胸を殴り始めたのだ。同じ単語を何度も繰り返し叫びながら。
私にはそのウイグル語を理解することはもちろんできなかったけれど、その子の表情から察するに、「どうして、どうして」と言っているような気がした。
拳が父親の胸に当たる音が、「ドスッ、ドスッ」と小さな病院に響きわたる。
いくら3、4歳の子供の力とは言え、これだけ思いきり殴られると大人でも痛いのではないかと思うほどだった。
元気な時は、きっとよく一緒に遊ぶ仲の良い父子なのだろうな。2人の様子を見ながら、私はそんな勝手な想像もしていた。
力ずくで押さえつけた父親の行動は、男の子にとって注射の痛み以上に耐えがたいものだったに違いない。それは、仲の良いはずの父親の裏切りにも感じられたのかもしれない。
ところが、暴れ疲れ、殴り疲れたのか、数分もすると男の子は父親の膝の上で寝息をたて始めていた。父親は少しホッとしたような表情で、眠っている子供の表情を見つめていた。
いつの間にか、病院の窓から西日が差し込んでくる時間になっていた。気がつくと窓からの陽射しが私の足下へ届いている。丸時計に視線を移してみると、もう午後4時を回っている。体はずいぶん軽く感じられるようになってきたものの、どうやら私への点滴はもう少し続くようだ。
目の前のベッドに座る父子に視線を戻してみると、男の子を腕に抱えた父親も、いつのまにかウトウトと眠り始めている。
窓から入ってくるクチャの午後の風が時折ゆっくりとカーテンをはためかせ、それが父親の背中をなでるように触れている。
男の子が元気になったら、2人は何をして遊ぶのだろう。穏やかな表情で眠る2人を見ながらそんなことを私は想像してみた。
そして、こんなことも考えてみた。
力ずくで我が子を押さえつけた父親の行動の意味を、この子はいつ頃理解できるようになるだろうか。3,4歳ではすぐには無理だろう。でも、案外この子は早くにそれが理解できるようになるのではないだろうか。
そう思う根拠など別段ないのだけれど、その父と子の様子を見ていると不思議とそんな気持ちになった。
一方、私のほうは、6本もの点滴を打って、無事に回復することができた。本当に疲労が極限までたまっていたようだ。病院をでるころには、まだ万全ではないものの、体温は37度1分まで下がり、自力で普通に歩ける状態にはなっていた。
医師や看護士、そしてまだ病院で診察を受けているウイグル族の人々にお礼を言って私は病院を後にした。病院を出るとき、やっぱりまた壁の丸時計に視線が行った。時間が気になっているわけでもなんでもないのに。
その翌日を私は休養にあてて、翌々日にクチャを発った。
結局クチャでは、到着直後にバザールへ向かい、それ以外の時間はほとんど病院と宿で過ごしただけだと言っていい。
でも、新疆ウイグル自治区の1ヶ月半の旅のことを私が思い出す時、クチャという街での思い出は、いつでも決して色褪せることなく蘇ってくる。
不思議なもので、病院で目にした光景を思い出す時、真っ先に脳裏に浮かぶのは、あの大きな丸時計だ。日本の小学校や中学校に行けばきっと黒板の上に掲げられているタイプのあの何の変哲もない丸時計。
でも、私の記憶の中で、その丸時計の針が動き始めると、あの父と子の行動と表情の全てが、今でも目の前に鮮明に浮かんでくるのである。
(Vol.27へ続く)
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