
クチャは、トルファンと中国最西端の街カシュガルの中間地点あたりに位置していて、北側には天山山脈がそびえ、南側にはタクラマカン砂漠が広がっている。
紀元前からオアシス都市として栄えたクチャは、亀茲(キジ)国と呼ばれる天山南路最大の中継貿易地点でもあり、街の周辺に残る数多くの仏教遺跡は、玄奘三蔵がこの地を訪れた時代の栄華を今に伝えている。
私が、そのクチャでまず最初に訪れたのは、バザールだった。
クチャのバザールは、トルファンのバザールとは違って、現在の街の中心部からは3、4キロほど離れたところにある。トルファンでは、バザールはバスターミナルなどがある大通りに面していて、そこは漢民族とウイグル族が混在しているエリアになっていた。
しかしクチャでは、バザールが漢民族の街からは離れたウイグル族の居住区内にあるからか、より民族色というものが濃く感じられる。バザールの中はともかく、周辺でも漢民族は全くと言っていいほど見当たらないのである。トルファンに比べると、訪れる外国人も少ないようで、バザールを行き交う人々から私へ向けられる視線の数もトルファンよりも格段に多い。
私が体調の異変を感じたのは、バザールを歩き始めて1、2時間ほどたった頃だった思う。
2日間、睡眠がほとんどとれていない上に、まだ日の高い時間にバザールを歩いていたから当然と言えば当然なのだが、かなり全身にけだるさを感じるようになっていた。そこで、私はその日は用心することにして、宿へ戻って早めに休むことにした。
翌朝、久しぶりにたっぷりと睡眠をとってクチャでの初めての朝を迎えることはできたのだが、体のけだるさはあまり抜けきっていなかった。仕方なく私は、丸1日を休養に充て、宿で洗濯をしたりしてのんびりと過ごすことにした。
私は駆け足で周るような旅はもともと好きではないし、現地の人と出会い、街や風景をじっくりと観察するためにも、余裕のある日程で移動する必要があると思っている。その方が、旅先で交わした言葉や目にした風景、自分がそこで考えたこと、というものが、記憶の底にしっかりと染み渡るような気がするのだ。それに、旅先で特に1日どこへも行かず、宿の近くを散歩する程度にとどめておくような日は、案外、旅の充実感を噛み締めるのにはよいものだ。そんななかにこそ、現地の人々の日常を垣間見る機会が溢れていたりもする。そして、旅先でその旅の最中のことを振り返り、これからの旅のことに思いを馳せる。大切な旅の時間だからこそ、そんなふうに過ごす時間を大切にしたいとも思っている。
もっとも、それも全て、体調が良ければの話だ。
昼頃から3日分ほどたまっていた洗濯を始めたものの、その途中でめまいがし始めて、私の体調は、ほとんど自力で立っていられないほど悪化してしまっていた。何とか部屋に戻って休もうと頑張ってはみたが、洗濯をしていた宿の別館から部屋へと戻る途中、階段の踊り場で激しい頭痛や吐き気に襲われ、座り込んでしまった。
今考えてみると、本当に疲労が極限まで達していたのだと思う。
私の様子を見かねた宿の人が、果物を買ってきてくれたり、お茶を運んできてくれたり、親身にお世話をしてくれたのだが、体調が回復する兆しはなく、口に入れた物も胃はほとんど受け付けてくれない。
結局、その日の夕方になって、病院へ行くことになった。
私はほとんど立っていられないような状態だったので、病院までは車に乗せてもらった。後でわかったのだが、宿の人が、知人にわざわざ電話をかけ、車を出してもらったとのことだった。
(Vol.24へ続く)
|