
ウイグル族の農村を歩いていると、民家の壁に赤いペンキで書かれた文字が頻繁に視界に入ってくる。道も壁も砂色が支配的な農村では、その赤い文字は強烈な存在感を放っていた。
文字は漢字で書かれてあるので、私にもどうにか意味の理解できるものがあった。いくつか挙げてみると、こんな感じだ。
「晩婚晩育」
「控制人口数量」
「経済要発展」
どれもこれも行政が掲げるスローガンなのだが、中国語がわかる人はほとんどいないというウイグル族の農村で、一体どれほど効果のあるものなのだろうか。
想像以上に大きなビルが立ち並ぶトルファン中心部から農村の方へやってきて、私には突然別世界を訪れたような感覚があっただけに、漢字で書かれたスローガンは少し奇妙にも感じられた。
しかしその一方で、この漢字のスローガンが持つ意味は「晩婚晩育」といった文字通りのメッセージが行政指導的に住民へ伝わることだけではなのかもしれない、とも思えた。
それは何より、ここでは外国人であり、ウイグル語もわからず、わずかに中国語の漢字が理解できるだけの私自身が、壁に書かれた文字を見て痛感させられることがあったからだ。
農道を歩いている時、すれ違う人と視線が合うと、私は必ずウイグル語で「ヤクシミシズ?(=お元気ですか?)」と言って挨拶した。漢民族が住んでいるエリアではないので、「ニーハオ」と声をかけるより、その方がはるかに自然だと思えたからだ。
農村で見かける女性はたいていスカーフをして髪の毛を覆っていたし、畑で農作業に勤しむ女性たちは、例外なくと言ってもよいほど皆一様に目の覚めるような鮮やかな色彩の服を着ていた。そんな人々の生活の様は、私にいつもウズベキスタンを訪れたときのことを鮮明に思い出させてくれていた。そして中央アジアに共通する文化を目の当たりにして、懐かしい気分に浸ったりしていた。
その私に、壁に書かれた漢字の赤い文字は、「ここは中国ですよ」という言外のメッセージとともに強烈に迫ってくるのである。
だから例えこの地域の人が漢字を読めず、行政が掲げるスローガンなど理解できないとしても、その赤い文字が存在する意味はあるのかもしれない。「ここは中国です。漢字文化の国です。中国語を学びましょう」というもうひとつのメッセージが、赤い漢字の一文字一文字に塗り込められているとも受け取れるのだ。
日が傾いて、人や木々の影が長く伸びる時間帯になると、ポプラ並木に覆われた農道にもひんやりとした空気が漂うようになる。
私は農村を後にして、宿のある市街地の方へと歩いていた。
漢民族の人の姿がちらほらと見えるあたりまで戻ってくると、周囲の街の風景も新しく、街が今もこれからも変わっていく様子が、歩けばわずか10分足らずのところにあるウイグル族居住区とは対照的に実感できる。
新しい舗装道路沿いにはチャイナテレコムの広告が延々と掲げられていた。全く同じ広告が、数10メートル間隔で一列に並び、それがはるか数キロ先に点になって見えなくなるまで続いていた。
ウイグル族の居住区には漢字のスローガン。漢民族が着々と新しく街づくりを進めているエリアには新興企業のアルファベットの文字。文字は違っても、それらは変わりゆくトルファンの街の状況を何よりも象徴していた。
漢民族による新疆ウイグル自治区への移住は、この地域の鉄道建設の歴史と密接に関わっている。
ウイグル自治区に初めて敷設された鉄道は、蘭州とウルムチを結ぶ蘭新鉄道で、1962年のことだった。1984年には南疆鉄道のトルファンからコルラまで区間が開通し、1999年にはコルラからついに中国最西端の都市カシュガルまで鉄道網が到達した。
鉄道網が拡充され、西方へのアクセスが容易になることは、そのまま漢民族の西部への移住の増加を意味する。たかが鉄道だと思われるかもしれないが、日本列島などすっぽりと入ってしまうような広大な荒地における交通手段の確保は重要な問題だ。西安からトルファンへやってくる道中で車窓に広がる光景を見て、油田の開発が大きな要因とはいえ、よくこんな荒地に途方もない距離の鉄道を建設したものだ、とつくづく感服させられたものだった。
「新疆」とは、「新しい土地」を意味する言葉で、確かに漢民族の感覚からすれば西の最果ての地であったに違いない。しかし鉄道の建設によって交通網が発達し、心理的な距離感が縮まれば、自治区の名称は変わらなくても、他の省の漢民族からの新疆に対するイメージも変わっていくのではないだろうか。
中国を国家という枠で捉えてみると、市場開放政策導入後、都市部と農村部の格差や沿岸部と内陸部の格差が取り沙汰されている。それは、漢民族とウイグル族のような少数民族との間にもともとあった格差とは別次元の格差が生まれていることをも同時に意味している。
中国がWTO(世界貿易機構)へ加盟し(2001年末に正式加盟)、市場が外資にも開放されれば、中国は否応なしにグローバリゼーションの波に飲み込まれることになる。そして、人や物の移動がよりスムーズになった新疆にもその波は押し寄せてくる。というよりも、すでに押し寄せていると言っていい。おびただしい数のチャイナテレコムの広告は、新疆がビジネス上有益なマーケットであることを意味しているし、そこに近い将来、外資が参入してくることもあながち現実味のない話ではないだろう。
しかし、仮に大きなビジネスチャンスが生まれるとしても、それは漢民族の人々のものでしかないというのが現実であるような気がしてならない。グローバリゼーションや市場経済の浸透が新疆に及んでいくとしても、結局それは民族間の格差を助長するものになってしまうのではないだろうか。
それでも、広がる格差を黙って見て、嘆いてばかりもいられない。
ウイグル族の人々が、押し寄せてくる変化の波の中で生きて行くためにまず必要なこと …… それが、結局のところ中国語の習得ということになるのだろう。
ディリシャティが口にした「自分の子供は漢民族の学校に入れたい」という言葉は、新疆を取り巻く経済状況やウイグル族の置かれた環境の話と、そんなふうにして私のなかで繋がっていくのだった。
これから先、この国の民族間の格差はどうなっていくのだろう。そして、民族間の格差が語られるときに忘れられがちなことだが、新たに生まれるであろう民族内の格差はどんな形で問題になるのだろう。
ディリシャティの言葉は、漢民族とウイグル族の間にある問題だけではなく、ウイグル族のなかにも格差が生まれていることを、確かに暗示していた。
(Vol.16へ続く)
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