
塩・コショウのきいたポロに、歯ごたえのあるナン。そして熱いチャイ。私が遠慮せずに食事をいただいていると、周囲の様子が徐々に慌しくなってきた。いよいよ、結婚式がはじまるのだろうか。
みんなが私をもてなしてくれて、その上とても気を遣ってくれているので、まだ少しは安心していられるものの、とにもかくにも今日はこの村で結婚式が行われるということ以外、私は何もわかっていない。
「ビデオ撮影を依頼されたという業者の人がトルファンから来ていて、その人について行けば大丈夫だから」と言われたところをみると、私が大きなストロボを付けた一眼レフカメラを首からぶら下げているので、もしかしたら、一部の人には私も撮影の依頼を受けてやってきた者だとでも思われているのだろうか……。
どうも大勢でどこかへ移動するようだ。家の前にはいつの間にかミニバスがとまっていて、新郎の親族や友人が乗り込んでいる。何が始まるのか聞いてみると、どうやら車で列をなして村をパレードするということらしい。
列の先頭を行くのは軽トラックで、その荷台には楽器を演奏する人が3人と、大きなバッテリーを抱えたビデオカメラマンが乗り込む。そして、 …… なぜか私もそこに一緒に乗ることになってしまった。
いきなりやってきた日本人がパレードの先頭を行く軽トラックに乗っているのが珍しいのか、村の大勢の子供たちが集まってくる。
「本当に私がここに乗ってもいいんですか?」
私はジェスチャーの限りを駆使して周りの人にそう尋ねてみるが、みんなニコニコしながら「今から村を周るんだよ。他の車もみんなついて来るよ。大丈夫、大丈夫」と説明してくれるだけだ。
そうこうしているうちに、車の列が出発することになった。すると、私と一緒にトラックの荷台に乗りこんだ人達が楽器の演奏を始めた。演奏と言っても、トランペットと大太鼓と小太鼓の3人の演奏でシンプルなものだ。曲に聞き入ってみると、楽器の構成がよく似ているからか、日本のプロ野球の応援で耳にするような感じのメロディーに聞こえてくる。
道行く村の人はみんな足を止め、オアシスの村を流れる川で洗濯する人も手を休め、車の列が通りすぎるのを眺めて笑顔で手を振ってくれる。きっと結婚式の時にはこうして楽器を奏でながら、車で村中をパレードするのが慣わしなのだろう。
車はそれほどスピード出して走っていたわけはないけれど、村に舗装道路などないので、荷台の揺れもかなりのものだった。私は振り落とされないように、軽トラックの荷台の縁にしっかりとつかまっていなくてはならなかった。
目の前で楽器を演奏し続ける人や、軽トラックの荷台から見える村の様子を眺めていると、ふと、自分の置かれている状況がとても不思議に思える瞬間があった。
旅の展開などというものはそもそも予測できるものではないのだけれど、全く予想だにしない体験をしたり、そうした環境に身を置くことになったりした時、世界地図を思い描いて自分が今どのあたりで何をしているのかを考えてみて、とても奇妙な感じがしたりするものだ。自分の目の前で起こっていることは間違いなく現実なのだけれど、旅の初日に、トルファンの郊外の農村で行われる結婚式で、パレードの先導車の荷台に自分が乗っているということが、なんだか現実ではないような気がしてくるのである。
けれども、それは心地良い感覚でもあった。これから始まる新疆ウイグル自治区の旅が、これまでのどの旅とも違う旅になりそうな、そんな嬉しい予感めいたものが頭の中に浮かんできたと言ってもいい。
私の視界の中を流れていく村の風景は、時に乾ききっていて、それでいて時に潤いに満ちていた。日干しレンガでできた塀に囲まれた家々は全てが砂色で、その色は、遠くに見える砂漠や、舗装されていない村の道路の色と見事に同化していた。そして村に満遍なく張り巡らせてある細い水路の周囲には緑の木々が並び、水の流れはトルファンの陽射しを浴びて輝いていた。その水路の水面の輝きは、何かが視界のなかで光ったような気がして、ついその方向に視線を向けてしまうほど眩しいものだった。
パレードは村を一周するものとばかり思っていたのだが、どうもそうではないらしい。
車の列は、村を出てしばらく農道を走り、別の村に入っているようだ。
結局、私は40分くらい軽トラックの荷台で揺られていただろうか。私たちを乗せた車の列は、別の小さな村のある家の前でとまった。
そこには村の子供たちや女性が大勢集まっていて、ずいぶん賑やかだった。女性の着ている服がどれも色鮮やかで、女性が集まっていると砂色の村の中では特に目立つ。それが賑やかな雰囲気をさらに強く感じさせてくれているのかもしれない。
(Vol.8へ続く)
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