
ウズベキスタンへの旅を終えて帰国した直後に、私が偶然手にした雑誌の中で、新疆ウイグル自治区に生きるウイグル族の人々の生活を紹介した写真を目にしたことがあった。写真がまず目に入って、私はてっきりそれがウズベキスタンの人々を紹介している記事なのだと思って、懐かしい思いでそのページの文章を読み始めたのだけれど、それが中華人民共和国のウイグル族の人々であることを知り、興味を抱いた。そこで紹介されていた人々の服装や生活の様子は、私がウズベキスタンで目にしたものと非常に似通っていたのである。
そしてそれ以上に関心を持ったのは、9割以上を漢民族が占める中華人民共和国の中の、面積にして6分の1を占める巨大な新疆ウイグル自治区で、ウイグル族をはじめとする数多くの少数民族はどのように暮らしているのか、ということである。近年、新疆への漢民族の移住が進んでいることは知られているが、では、その漢民族の人々は、「新疆」と名づけた彼らにとっての「新しい土地」でどのように暮らしているのか。さらに言えば、漢民族が圧倒的な多数を占める中国で生きる少数民族の人々の中に、マイノリティ意識のようなものがあるとするなら、それはどのような形で存在しているのか。そうしたことを私は自分の目で見て、そして人々から話を聞きたいと思った。
寝台で横になったまま、私はふと、視線を再び車窓に向けてみる。そこに何が見えるのか、もう40時間以上もこの列車に乗っていれば、おおかた見当はつくのだけれど。
そして、こんな疑問を持ったところで、どうにもならないことはよくわかっているのだけれど、それでもため息混じりについこう思ってしまう。
「こんな人っ子一人いない荒地と砂漠がいったいどこまで続くのか……」
列車がハミの郊外の農地を抜けると、再び、上半分を薄い水色に、下半分を砂色に塗られた緑のない地球の原風景のような荒野が広がっていた。
ただ、そんな列車の旅が、私にとって退屈だったというわけではない。
気の遠くなるような街と街、駅と駅の間隔は、中国という国の広さや、ユーラシア大陸の壮大さを何よりも物語っていたし、まれに見かける人影は、人はどんなところにも住める場所を見つけて生きていくものなのだという、人間の生命力の強さのようなものを感じさせてくれた。
しばらくすると、西進し続ける列車の左側の風景の様子が変わってきた。左側、つまり南側の土地が極端に低く、水の流れた跡だけが残る干上がった川が全て南へと向かっている。その流れの先に広がっているのがトルファン盆地だろうか。時間的にも、そろそろ私の最初の目的地であるトルファンに到着する頃だ。
寝台の上で自分の荷物を片付けていると、時折、車内に差し込んでくる日光が遮られ、手元が暗くなるようになってきた。不思議に思って外の風景を確かめてみると、列車を囲む風景は数分前と一変していて、線路は高い岩山の間を蛇行している。岩山の色は、先ほどまで見えていた砂色の大地とは違って、かなり赤味を帯びている。私はその赤い岩肌を見て、トルファン郊外にある火焔山(かえんざん)のことを思い出した。西遊記に登場する、あの火焔山である。
いよいよトルファンへの到着時刻が近づき、それを告げる車内放送がBGMに乗せて流れる。BGMを聴いて、私は荷物をまとめながら思わず苦笑してしまった。
西安から2泊3日の列車の旅を続け、途方もない荒地を越えて、はるばる新疆ウイグル自治区までやってきて、こんな時に、こんなところで「ホテル・カリフォルニア」はないだろう。
列車を降りる時によくよく思い出してみて気がついたのだけれど、私が乗った車両の乗客は、私を除いて全員が漢民族の人々だった。西安を出発した時には、ほぼ寝台は満席状態だったものの、甘粛省内の駅で降りていく人も多く、新疆ウイグル自治区に入った頃にはすでに乗客は半数くらいに減っていた。
とにもかくにも、西安から50時間弱、2泊3日の列車の旅をへて、9月20日18:00、私はトルファンの駅に降り立っていた。
(Vol.4へ続く)
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