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 列車がわずかに左に傾くのを感じて、私は目を覚ました。
 右目だけを恐る恐る開けてみると、車窓から真っ白な光が差し込んでいる。列車内の乗客の話し声がかすかにあちこちから聞こえてくる。

 いつものくせで左手の腕時計に視線を落とすと、時刻は午前8時45分。西安を定刻より13時間遅れて出発したこの列車の50時間近い旅はまだまだ始まったばかりだ。このまま新疆ウイグル自治区のトルファンまでこの寝台でもう1泊するのかと思うと、正直うんざりしなくもなかったが、同時に長時間の鉄道の旅は、中国という国の広大さを私にまざまざと実感させてくれていた。

 私は徐々に明るさに慣れてきた両目をしっかりと開けて、寝台で横になったまま視線を車窓の風景に移してみた。
 そこには、中国内陸部の農村の風景がひたすら流れていた。しかし、車窓の向こうに、緑豊かな田園地帯が現れることはない。黄河流域の黄土が堆積した地帯であることをうかがわせる黄色と褐色に埋め尽くされた世界。その中に農耕地が散在する。
 テレビの映像や写真で目にする北京や上海、そして私自身何度も訪れたことのある香港のような大都市とは明らかに別世界だ。中国国内での都市部と農村部の格差が問題視されるようになって久しいが、私が乗っている列車は、延々と続くその農村部を通過していく。

 列車はまだわずかに左に傾いていた。
 ずいぶん長い左カーブが続いているようだった。

 列車は農村を越え、荒地を越え、農村を越え、そしてまた荒地を越えていく。荒地には、小さな岩がただ大量に転がっている。砂を敷き詰めた砂砂漠のような繊細な美しさはそこにはなく、私がこれまで目にしてきた自然風景のなかで、もっとも荒れ果てた光景が眼前に広がっている。
 甘粛省も半ばを過ぎると、農村の風景が車窓に流れることは少なくなった。緑のない褐色の岩山の中を線路はうねりながら横切り、突然視界が開けると、そこにはまた荒涼とした大地がただただ広がる。

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 いったいいつまでこの荒地は顔を見せつづけるのだろうか。風景を目の前にして「あきれてしまう」という表現も変だが、2日間も延々と続く殺伐とした風景に、私は間違いなくあきれ、そして感心してしまっていた。

 それは、見晴らしの良いところに立って息を呑むような思いで眺め見る風景とは、明らかに異質のものだった。自分の身を1つの「点」に置いた時に周囲に広がる風景を見渡すことは、往々にして爽快なものだ。しかし、あまりにも巨大な大地を、細く長い鉄道という「線」に身を乗せて、数10時間にわたってまざまざと見せつけられると、それはもう爽快などという次元のものではない。美しいとか寂しいとか、そんな人間の価値観を投影すること自体が、なんだか空虚で無意味なことにさえ思えてくるものだ。そしてそのことを、線の上を進むにつれてじわじわと少しずつ痛感させられるのだ。言い換えれば、人間が立ち入ることを容易には許さない、という大地の意思表示に圧倒される、ということなのかもしれない。

 列車の振動に身を任せて、ひたすら続く大地をぼんやりと眺めていると、ふと、かつてこの地を旅した偉人の名前が私の脳裏に浮かんできた。
 玄奘三蔵、そしてマルコ・ポーロ。
 彼らは、本当に、本当にこんなところを踏破して行ったのだろうか。私の眼前で繰り広げられている光景の中を人間が生身で旅をして行くなど、あまりに現実離れした話に思えてならなかった。一体何が彼らを支えたのだろうか。信仰心、商魂、冒険心、情熱……。自分が知っているそんな言葉を並べても、なんだか全て違うような気がした。もしかしたら、彼らを支えた精神は、あまりに強靭で、そして崇高で、実は自分たちはそれを表現する言葉を全く持ちえていないのではないか。そんなふうにさえ思えた。
 そしてこんな疑問も浮かんできた。
 この途方もなく広大な荒地の奥に、人口150万以上で高層ビルが立ち並ぶウルムチが、大勢の人々でごったがえすカシュガルのバザールが、本当に存在するのだろうか……。

 それでも私は、これから訪れる街の風景に思いを巡らせてみる。けれども必死に描いた私の頭の中の旅先へのイメージは、開いた窓から車内へと飛び込んでくる砂塵交じりの乾いた風に、幾度となくかき消されていく。そして薄れていくウイグル自治区の街の活気やそこに生きる人々のイメージを、目の前の光景はさらに次から次へと、乾いた砂色で容赦なく上塗りしてくるのだった。

Vol.2へ続く)

>> 旅のウイグル語 Vol.1
 新疆ウイグル自治区の言語事情は、民族事情と同様に非常に複雑です。トルコ(テュルク)語系でアラビア文字を基本とする現代のウイグル語は、中国語とは文字も文法も全く異なるものです。それでも、中国語は公用語ですので、農村部や山岳部などを除けば、ウイグル族もその他の少数民族も中国語の会話はできる人が多いです。ただ、漢字の読み書きができる人は、学生や都市部の人に限られ、非常に少ないようです。
 ちなみに新疆の人口の約4割を占める漢民族の人々は、ほとんどウイグル語を理解していないので、ウイグル語が通じるのは、漢民族以外の少数民族ということになります。そのためか、外国人がウイグル語で挨拶をするだけで、非常に驚かれ、喜ばれました。
 それでは、来週から簡単な挨拶のフレーズを紹介していきます。

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>> 秋野深(あきの・じん)について
 1970年生まれ。福岡県出身。会社員生活を経て、現在はフリーランスの写真家・紀行作家。アメリカとアジアを主なフィールドとして、自然風景、建築物、人々の生活や表情を撮り続け、雑誌やウェブでは旅のフォトエッセイの連載も手掛けている。
 ニューヨークアートギャラリー「Renee Fotouhi Fine Art」への作品登録、ナショナルジオグラフィック・WWF(世界自然保護基金)の共同制作ウェブサイトへの写真提供をはじめ、作品は海外の媒体でも紹介されている。
 『イラン・思考の旅』で、第1回文学メルマ新人賞紀行文部門大賞を受賞。アメリカで開催された「インターナショナル・フォトグラフィー・アワード2004」のプロフェッショナル・ネイチャー/ランドスケープ部門で「オーナブルメンション」賞を受賞。
 ⇒ 活動や作品の詳細については、Jin Akino Photography をご覧ください。
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